
東関屋駅構内のモハ16 撮影:私 1990年8月頃
モハ16には初代が存在しました。1947年6月に新潟交通オリジナル新造車でした。しかし当初から故障が多く1950年8月に非電送化されクハ36になりました。そこで1956年1月国鉄モハ1924(伊那電気道買収車)を譲渡され2代目モハ16が誕生しました。しかし国鉄型とは言え実際は1969年に西武所沢工場で小田急デハ1409の車体にブリル27MCB、WH・MB556-J6電動機を装備したものでした。貫通路は埋められて正面中央窓は拡張されHゴム化されました。1990年3月に検査切れのために休車になりましたが、1993年8月1日燕ー月潟間の廃止が決まりついでに廃車されました。クハ39は1927年日本車輌製の武蔵野鉄道サハ2322がベースである西武鉄道クハ1214を1963年に譲渡されて誕生しました。客扉が3扉車は元小田急2229と共に唯二の車両でした。老朽化により1985年6月末に廃車しました。
そもそも新潟交通電車線は赤字がかさみ経営が苦しい中、西蒲原地方の大切な足となっていました。1984年3月21日全線CTC制御化で合理化を図りましたが赤字額の増大、利用者の大幅な減少により1989年から部分廃止を繰り返して、白山前ー東関山が1992年3月20日に廃線、燕ー月潟間が1993年8月1日、そしてついに1998年3月末で全線廃線になりました。嗚呼